日々の想い(36)「教会と幼稚園⑤~神の宣教・幼稚園・教会~」

甲子園福音

年月日発行 号

 

日々の想い(三六)「教会と幼稚園⑤~神の宣教・幼稚園・教会~」

 

かつて教会関係のある協議会に出席した時に、ひとりの牧師がこんな話をされました。その方は、これから任地に出て行く若い牧師に向かって、いつもこのように言葉をかけるというのです。「あなたの遣わされる場所に居られるイエスと出会いなさい。そうすれば、牧会の仕事が楽しくなりますよ。」

わたしが幼稚園で園長として働くようになって、いつも気になっているのがこの牧師の言葉です。そしてこう思うのです。「わたしは幼稚園に居られるイエスと出会っているだろうか」と。

直接聞いたわけではありませんが、恐らくこの牧師の言葉の背後にあったのは、「神の宣教」(ミッシオデイ)の神学だと思われます。
「神の宣教」とは、一九五〇~六〇年代に世界教会協議会(WCC)から生まれてきた神学です。
かつてヨーロッパの教会は、「救いは教会から世界に及ぶ」と考え、まだキリスト教化されていない国々に宣教師を派遣しました。しかしそのような教会の宣教の業が、当時のヨーロッパ各国の植民地主義に利用され、キリスト教化=植民地化となってしまったのです。そしてその結果、引き起こされたのが、二つの世界大戦でした。

そのことの反省から、戦後になってWCCは、教会の宣教方針を見直し、「救いは教会から」ではなく、「神は教会に先立って、この世界で働いておられる。そして教会とは、その神様の働きを共に担い、この世に仕える群れである」と考えたのです。
神は教会に先立って、すでにこの世界で救いの業をなさっている。そして教会はそれに従ってゆく、これが「神の宣教」の神学です。そしてこの神学は、戦後の世界の教会の歩みに大きな影響を与えました。

それまで教会は、教会の「内」に「外」の人を引き込むこと(クリスチャンにすること)こそが、教会の宣教(伝道)の業だと考えていました。しかし、この「神の宣教」の神学によるならば、「内と外」という分け方は、もはや通用しません。なぜなら、神ご自身が教会の外に出て行って、その救いの業を為さっているからです。ですから、この神に従う教会もまた、教会から出て行かなければならないということです。

かつて教会附属の幼稚園で働く教職員には、いつかは洗礼を受けなければならない、という不文律があったそうです。そして今でも、教職員は教会の礼拝に来るのが望ましい、ということが言われます。勿論、教会に来てキリスト教の学びを深めることは、キリスト教保育に携わる者としての大切な姿勢です。

しかし、「神の宣教」の神学によるならば、教会に来なければ神様やイエス・キリストに出会えないという訳ではありません。教会だけでなくこの世界に、そして幼稚園に、神は、そしてイエスは居られるからです。つまり、見方を代えて言うならば、幼稚園もまた「教会」なのです。
ですから、幼稚園におられるイエスと出会うこと、これがわたしの祈りの課題なのです。

 

(甲子園教会牧師・むこがわ幼稚園園長 佐藤成美)

 

一一月の礼拝・行事予定
○こども祝福礼拝 一一月一五日(日)午前一〇時三〇分
○伝道集会「午後の小噺」一一月一五日(日)午後二時