日々の想い(39)「教会と幼稚園⑧~キリスト教保育の心~」

甲子園福音

年月日発行 号

 

日々の想い(三九)「教会と幼稚園⑧~キリスト教保育の心~」

 

「礼拝堂に入ったら静粛に礼拝開始をお待ちください。」

「このような文言を、以前わたしがいた教会の週報に記していました。礼拝が始まる時は私語をやめて、静かにして礼拝を始めましょう、ということです。
そして、これと同じような言葉を幼稚園で聞くことがあります。「これから礼拝です。皆お口を閉じて、静かにしましょう。」
礼拝を守るからこどもたちに口を閉じさせ、静かにさせる。
しかし、果たしてそれがキリスト教保育に適ったことなのか、そのことを考えさせられる出来事に出会いました。

「昨年のクリスマス前のことです。クリスマスページェント(イエス・キリストの降誕劇)の初めての練習のために、あるクラスのこどもたちが担任の先生と一緒に礼拝堂に入ってきました。その時にこどもたちは騒ぐこともなく、まさに「静粛に」、心を静めた様子で入ってきたのです。そして練習を始める前に、その担任の先生は、「今からわたしたちは礼拝を献げますが…」とお祈りされたのです。
それは言ってみれば、これから何度も繰り返すページェントの練習の一つです。でもその先生は、その一回一回の練習を礼拝として神様にささげる思いで臨んでいるのだな、その先生の思いが伝わってきて、わたしも深く心を動かされたのです。

「その練習(礼拝)の後、副園長がこのように言われました。「あのクラスは、礼拝堂に入って来る時から、ちゃんと心の備えが出来ていました。でもそれは、突然言われて出来ることではありません。日頃の保育の積み重ねの中で、礼拝に臨むそのような姿勢がこどもたちに伝えられているからこそ、出来ることなのです。」
わたしはこの副園長の言葉を聞いた時に、はじめてキリスト教保育の心に触れたような思いがしたのです。

「キリスト教保育とは何なのか、キリスト教の教えや聖書のお話をこどもたちに伝えることなのか、人間の命や自然の命を尊ぶ思いをこどもたちと分かち合うことなのか、イエスが為さったようにこどもたちを愛することなのか。昨年お招きした奥田和弘先生のお話にもありましたように、今、キリスト教保育を巡る様々な思いや考えが渦巻いていて、誰もがはっきりした答えを見いだせないでいます。
しかし、たとえ様々な答えや方法があったとしても、キリスト教保育の根幹にあるものはただ一つです。それは、神様に対する畏敬の念、つまり、神様を畏れ敬う思いです。
わたしたちの人間の命を創り、この世界の命すべてを創られた創造者に対する畏れと敬いの思いを持つこと、これがキリスト教保育を成り立たせているのです。

「ですから、保育者自身が命の創り手である神様への畏れや敬いを持っているかどうかが問われて来るのであり、そのことが日々の保育を通してこどもたちに伝わり、どのような姿勢で礼拝を守るのかにも表れてくるのです。

「ひるがえって、教会ではどうでしょうか。礼拝前は静粛に、私語をつつしみましょう、それが礼拝を守る姿勢です、それをいちいち言わなければならないのだとしたらどうでしょうか。
神への畏れと敬いの思いを持って、頭を垂れて、主の日ごとの礼拝を献げる者でありたいのです。

 

(甲子園教会牧師・むこがわ幼稚園園長 佐藤成美)

 

二月の礼拝・行事予定
○映画の夕べ 二月六日(土)午後六時~ (於 プレイルーム)
DVD『シンデレラ』を鑑賞します。
○臨時教会総会 二月二八日(日)礼拝後