聖書随想(20)「ヘブライ語聖書をめぐる問い②~教会の場合2~」

甲子園福音

2016年7月3日発行 110号

 

聖書随想(二〇)「ヘブライ語聖書をめぐる問い②~教会の場合2~」

 

「よこしまで神に背いた時代の者たちはしるしを欲しがるが、ヨナのしるしのほかには、しるしは与えられない。」
〈マタイ福音書一六章四節〉

先月の甲子園福音では、教会がヘブライ語聖書をイエス・キリストを預言する書物と解釈して、教会に取り込んでいった話を書きました。
しかし教会は、単に言葉による「預言」としてだけ、ヘブライ語聖書を受け入れたのではありません。教会は、そこに記されているお話そのものが、イエス・キリストの出来事を指し示していると理解したのです。

ヘブライ語聖書のお話をイエス・キリストの出来事を予表するものとして理解すること、これを「予型論的解釈」と呼びます。そして、この予型論的解釈の最も有名なものが、冒頭の聖書の言葉です。
ここでは、預言者ヨナの出来事がイエス・キリストの復活を表すものとして理解されています。なぜならヨナは三日三晩、大魚の腹の中で過ごし、その後大地に吐き出されたからです。そしてそれが、死んで葬られ、陰府にくだり、三日目に復活したイエス・キリストの出来事を表していると理解されたのです。

もう一つ、新約聖書に書かれているヘブライ語聖書のお話としては、ヨハネ福音書のこういう言葉があります。「モーセが荒れ野で蛇を上げたように、人の子も上げられねばならない。」
これはどんなお話かと言いますと、かつて荒れ野でイスラエルの民が神に不満を言った時、怒った神は炎の蛇を送り込み、多くの人が咬まれて死んだのです。しかし、神に命じられたモーセは青銅の蛇を作り、それを旗竿の先に掲げたところ、その青銅の蛇を見た人々は、炎の蛇に咬まれても死ななかったのです。

このように、かつてモーセが掲げた青銅の蛇が人々を死から救い出したように、十字架に上げられたイエスが多くの人々に永遠の命を与え、死の滅びから救い出す、というのです。つまり、青銅の蛇はイエスの十字架による救いを予型するものだった、ということです。

この他にも、アブラハムによるイサク奉献の物語が、父なる神によってこの世に献げられる独り子イエス・キリストの出来事の予型とされたり、モーセによる紅海渡渉も死と復活の予型とされたのです。

このように、かつての教会の人々はヘブライ語聖書の言葉そのものと共に、その物語の中にもイエス・キリストの出来事を見い出そうとしたのです。
そして、このような予型論的なヘブライ語聖書の解釈は、決して古びたものではなく、現代においても十分に通用するものなのです。
例えば、前述の紅海渡渉の話には、神が無条件にイスラエルの民を救うという「恵みの先行」が見られますが、これはイエス・キリストの救いにも通じるものです。つまり、紅海渡渉はキリストの救いの先取り(予型)である、ということです。
「旧約聖書の中には新約聖書がある」、よく言われるこの言葉の確かさを思わせられるのです。

 

(甲子園教会牧師・むこがわ幼稚園園長 佐藤成美)

 

七月の礼拝・集会案内
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主題「教会が選ばれない『決定的』な理由」中道基夫先生