聖書随想(25)「ヘブライ語聖書をめぐる問い⑦~ルカの場合~」

甲子園福音

2017年2月5日発行 117号

 

聖書随想(二五)「ヘブライ語聖書をめぐる問い⑦~ルカの場合~」

 

イエスは言われた。「わたしについてモーセの律法と預言者の書と詩編に書いてある事柄は、必ずすべて実現する。…」そしてイエスは、聖書を悟らせるために彼らの心の目を開いて、言われた。「次のように書いてある。『メシアは苦しみを受け、三日目に死者の中から復活する。また、罪の赦しを得させる悔い改めが、その名によってあらゆる国の人々に伝えられる。』と。」
<ルカ福音書二四章四五節>

福音書記者ルカにとって、ヘブライ語聖書は「教え」の書物ではありませんでした。そのことは、イエスが弟子たちに語ったとされる「律法と預言者はヨハネの時までである。それ以来、神の国が告げ知らされ」ている、という言葉によく表れています。

今は、「教え」としての律法と預言者の言葉にではなく、イエスによって始められた神の国の宣教の言葉に耳を傾けるべき時なのだ、そうルカは語ったのです。
ではルカは、ヘブライ語聖書をどのように捉えていたのでしょうか。そのことを示すのが、冒頭に掲げた聖書の言葉です。

この言葉にあるように、ルカにとってヘブライ語聖書は、まずメシアの苦しみと復活、つまりイエス自身の十字架の死と復活を預言しているものでした。
しかしそれだけではなく、「罪の赦しを得させる悔い改めが、その名によってあらゆる国の人々に伝えられる」とあるように、ルカはヘブライ語聖書が、イエスのあとに続く初代教会の宣教の働きをも預言している、と考えたのです。
そしてその預言の言葉の通り、神の国の宣教はエルサレムから始まって、当時、ユダヤ人にとっては地の果てと思われていたローマにまで達するようになる、これがルカの描いた宣教の見取り図でした。
そのようにして神の国は、小さなからし種が大きく成長して枝をはるように、この世界の中で少しずつ、しかし確実に広がって行く、というのです。

このように、ルカにとってヘブライ語聖書は、イエス・キリストの十字架の死と復活の出来事を預言すると共に、教会の宣教の働きをも預言する書物、つまり、この世における神様の救いの計画を告げる書物だったのです。

ではなぜルカは、ヘブライ語聖書をこのように解釈しようとしたのでしょうか。それは、そうすることによって、ルカの属する教会共同体の、歴史における立ち位置をはっきりさせるためでした。
終末を目指して進むこの世において、今自分達は「教会の時代」(教会による宣教の時代)を迎えている、そして、教会による世界伝道がその目的を果たした時、この世の終わりがやって来る、これがルカの理解でした。

終わりの時を目指して進むこの世界の歴史の中で、現代を生きるわたしたちは、では一体どこに立っているのでしょうか。聖書の言葉を通して、そのわたしたちの立ち位置に思いを馳せてみたいのです。

 

(甲子園教会牧師・むこがわ幼稚園園長 佐藤成美)