日々の想い(52)「不安の世に生きて」

甲子園福音

2018年6月3日発行 133号 その1

 

日々の想い(52)「不安の世に生きて」

先日、ある牧師に誘われてクラリネットのソロ演奏会に行って来ました。
クラリネットということで、わたしの頭の中ではすっかりクラシックの名曲が数曲演奏される、とイメージされていたのですが、予想に反し演じられたのは、いわゆる即興の「現代音楽」でした。
ただし即興と言っても、作曲者もいれば楽譜もあるのですが、演じられる曲はどれも聞いていて安らかになる、という音楽とは程遠いものでした。
奏者の方も曲の解説をする中で、「どれも緊張を強いる曲なので、このような曲を聴きながら、お茶を一杯飲む(喫茶店のホールで行われたコンサートでした)という気持ちにはならないでしょう。
どうぞわたしが話をしている間に、お召し上がりください」と言っておられました。

ジャズの分野でもフリージャズというのがあって、これもまさに即興の、しかも難解な音楽で、わたしは今回のクラリネットの即興を聴きながら、この二つの音楽に相通じるものがある、と感じたのです。
その相通じるものとは、ひと言で言えば「不安」です。ジャズでもクラリネットでも「現代音楽」というのは、わたしたち人間の不安を掻き立てるものであって、だからこそ、聞くわたしたちに強い緊張感を強いるのです。
そういう意味で、「現代音楽」とは、先行きの見通せない、不安がすべてを覆う「現代」という時代の象徴なのかもしれません。

話は変わりますが、この四月以降、教会に関わる三名の方々を神様の許にお送りしました。その内、お二人は当教会の方であり、あとのお一人はわたしが以前いた教会の方でした。
いずれの皆さんも、八〇歳を超えた方々です。
これらの方々に共通していたこと、それは、皆さんがキリスト教の信仰を持っていた、ということだけではなくて、それぞれの方が、静かに、しかししっかりと、地に足をつけた信仰の歩みを続けておられた、ということです。
いずれの方の葬儀の時も悲しい時ではありましたが、しかしそれと同時に、信仰を持って歩んだ者が最後に神様から与えられる平安を感じさせられる時でもありました。

「いかに幸いなことか、神に逆らう者の計らいに従って歩まず、罪ある者の道にとどまらず、傲慢な者と共に座らず、主の教えを愛し、その教えを昼も夜も口ずさむ人。
その人は流れのほとりに植えられた木。ときが巡り来れば実を結び、葉もしおれることがない。その人のすることはすべて、繁栄をもたらす。」(詩編一篇一―三節)
不安が世界をおおい、様々な出来事に心を揺れ動かされるのが、現代を生きるわたしたちの姿です。

しかし、そのような不安の世界にあっても、動かされることなく、最後の時まで平安に生きる道がある。
その道は、人に目立つこともなく、一歩また一歩と踏み出して行く、小さな歩みであるのかもしれないけれども、でも確かにわたしたちを平安へと導いて行く。
そのような確かな信仰の道を、三人の方々に改めて教えていただいたような気がして、神様に感謝の日々でした。

(甲子園教会牧師・むこがわ幼稚園園長 佐藤成美)