日々の想い(54)「戦争、平和、いのち、信仰」

かつて戦艦大和に若き士官として乗り込み、その撃沈からの生存者として『戦艦大和ノ最後』を著した吉田満さんは、後に日本基督教団西片町教会の教会員となり、「教団戦争責任告白」の草稿を書いた当時の教団議長鈴木正久牧師を支えたのです。

その吉田満さんが一九七七年の敗戦記念日に際して、「平和への一歩」と題するこのような文章を書いています。
「この八月で、三十二回目の終戦記念日がめぐってきます。

昭和二〇年八月一五日、二十二歳だった私は、高知県須崎の特攻基地見張所の隊長として、八十人の部下と共に敗戦の知らせを聞きました。

戦争が終わって平和がくるということが、実際にどんな変化を意味するのかがはっきり分からず、まず部下の一人ひとりを無事に復員させるのが精いっぱいで、士官である自分は、さいごに当然銃殺にされるものと覚悟していました。

しかし予想に反して、われわれにも復員命令が出された時、これから平和の時代を生きるというのは、決してよろこばしいことではなく、気の重い苦行のように思えました。

第一線で敵と対面しながら、今日こそ死んでやる、と自分に言い聞かせて毎朝目をさますという生活は、その日一日のあり方を地道に考える姿勢からは最も遠く、気ままに無責任に生きるのに好都合でした。

ところが、平和の中で生きなければならないとすれば、自分の行動の痕跡は死によって消されずに、明るい陽のもとで、だれの目にもふれる場に残されるわけです。

これからの一日一日をどう生きたらよいのか、焼け野原の東京に立った私は、ほとんど途方に暮れました。

戦後生活の出発といっても、私には人生経験も特別の知識もなく、手がかりといえば、戦争の体験のほかにはありませんでした。

自分があの戦争の中でしたことは、何であったのか。死んでいった多くの仲間は、何を残していったのか。彼らが真に願ったものは、何であったのか。どうしたら彼らは救われるのか。

戦争で苦しんだ人たちこそ、戦争の空しさ、平和の尊さを知りつくしているはずです。彼らがひたすら待ち望んだ平和への願いは、なぜ実らなかったのか。いまそれを実らせるには、どうしたらよいのか。

戦後の混乱と不安の中で、これらの問いかけを探求しつづけながら、ある結論に近づいたように思った時期もありました。しかし腰をすえて究明してみると、それは何か強い勢力への屈服であったり、ひとつの理論的立場との妥協であったり、特定の政治体制に身を売ることであったりしました。

この根源的な問いかけを徹底的に追い求めるには、何の制約もなしに私を導いてくれる力、いっさいの妥協を許さない権威が、どうしても必要でした。それに向かって、無限に近づくことを許してくれる相手が、必要でした。

そこで出会ったのが、信仰であり、信仰によって生きている人たちの現実であったわけです。

私にとっての根源的な問いかけが、信仰とどうつながるのか、それをきわめることが、今後に与えられた課題です。」

吉田さんが抱えた戦争と平和、そしていのちに係わる根源的な問いかけ、それはまた、今を生きるわたしたちにも問いかけられているのです。
(甲子園教会牧師・むこがわ幼稚園園長 佐藤成美)