前回は、十字架について殺された、イエスというひとりの人の生き方に表れた愛について書きました。
しかし、キリスト教を作り上げたのはイエス自身ではありません。それを行ったのは、十字架で死んだイエスを「キリスト」(救い主)と信じ告白した、イエスの弟子たちを中心とする教会の人々です。
では教会の人々は、イエスの十字架の死をどのように受け止め、これを理解したのでしょうか。
そのことを考えるために、まずわたしたちが知っておかなければならないのは、イエスが十字架で処刑される前後の弟子たちの姿であり、イエスの「復活」の出来事です。
よく知られているようにイエスを裏切ったのは、十二弟子のひとりであったイスカリオテのユダでした。ユダがなぜイエスを裏切ろうとしたのか、その理由ははっきりとは分かりません。
しかし一つ考えられるのは、ユダがイエスに失望していたのではないか、ということです。
イエスの時代の多くのユダヤ人たちは、かつてイスラエルの王国を導いたダビデ王のような宗教的、軍事的、政治的なリーダーが、「メシア」としてまもなく再来することを信じていました。
「メシア」とは、本来「油注がれた者」の意味であり、王となる者がその油注ぎの儀式を受けることから、世の終わりにやって来る「王」を表す言葉となったものです。
やって来るメシアは、いま自分たちを支配するローマ帝国を滅ぼしてくださる、そしてそのメシアの統治のもとに、自分たちユダヤ人は神の支配する新しい世に生きることが出来るのだ、そうユダヤ人たちは信じていたのです。
そしてイエスの弟子たちは皆、そのやって来るべきメシアこそが自分たちの師イエスである、と信じていたのです。
ところが、そのメシアであるべきイエスが、都エルサレムを目指す道中で、自分は都でユダヤ教の指導者たちの手にかかり殺されると、語り始めたのです。
神の支配をもたらすはずのメシアが、従えるべきユダヤ教の指導者の手によって殺されるなど、あってはならないことであり、そんな弱気なことをメシア自身が口にすること自体情けない、恥ずかしいことだ、イエスの言葉を聞いたユダは、そのように思ったのではないでしょうか。
だからユダはイエスに失望し、裏切ったのです。では、ユダ以外の弟子たちはどうであったのでしょうか。
最後の晩餐の後、イエスは弟子たち一同に「あなたがたは皆わたしにつまずく」と言われました。
しかしこれを聞いた一番弟子のペトロは、「たとえ、みんながつまずいても、わたしはつまずきません」「たとえ御一緒に死なねばならなくなっても、あなたのことを知らないなどとは決して言いません」と宣言しました。
だからペトロは、イエスがゲッセマネの園で捕らえられ、他の弟子たちが逃げ去った後も、イエスの後をこっそりつけて行き、大祭司の庭でたき火にあたっていたのです。
ところが、そのたき火の場面で、イエスの仲間であることを周りの人々から疑われたペトロは「イエスのことは知らない」と、三度もこれを否んでしまうのです。
このように、ユダも、ペトロも、他の弟子たちも、イエスを裏切り、否み、これを見捨てて逃げ去ったのです。
このようにして弟子たちは、イエスの逮捕とその十字架の死の出来事を経験する中で、自分たちの罪と弱さをまざまざと見せつけられたのです。
イエスのあとに従って行った自分たちの歩み、それはイエスの死によってすべて水泡に帰しました。その宣教の業は失敗したのです。
そしてそれだけではなくて、言い逃れの出来ない自分たちの醜い罪の姿を知らされて、弟子たちはただ恐れ、隠れる以外にはなかったのです。絶望が彼らを捕えていたのです。
しかし、そのような絶望の淵に叩き込まれた弟子たちが、そのわずか五十日後の五旬祭の時には、イエスを「キリスト」として宣べ伝え始めたと、聖書は語ります。
恐れと絶望に囚われていた弟子たちに何が起こったのでしょうか。なぜ彼らはイエス・キリストを宣べ伝え始めたのでしょうか。これが、キリスト教の歴史における最も不可解な部分であり、また、もっとも大切な部分です。
なぜ彼らがイエス・キリストを宣べ伝えはじめたのか、それは彼らがイエスの「復活」の出来事に出会ったからです。
(甲子園教会牧師・むこがわ幼稚園園長 佐藤成美)