2019年3月 福音のメッセージ「生まれ変わりを信じますか」

(聖書箇所:エレミヤ一三・一-一一、ルカ五・三三-三九、第1コリント二・一-五)

「生まれ変わり」という言葉から、皆さんは何を想像されますか。

実は聖書の中にも「生まれ変わり」という言葉は出て来ます。ヨハネ福音書の中でイエスは「はっきり言っておく。人は、新たに生まれなければ、神の国を見ることは出来ない」と言いました。

では「人が新たに生まれる」とは一体どういうことなのでしょうか。そのことを考えるためには、わたしたち人間と神様の関係の在り方について知っておく必要があります。

今日のエレミヤ書によれば、神様は腐った帯を示してこのように言われます。「彼らは全く役に立たないこの帯のようになった。人が帯を腰にしっかりと着けるように、わたしはイスラエルのすべての家とユダのすべての家をわたしの身にしっかりと着け、わたしの民とし、名声、栄誉、威光を示すものにしよう、と思った。しかし、彼らは聞き従わなかった。」

そうやって神様は、神の言葉に聞き従わないイスラエルの人々を「腐った帯」に譬えながら、かつて神様がイスラエルの人々との間に立てられた救いの契約の破棄を宣言されたのです。

では、それで神と人間の関係は終わりになったのでしょうか。そうではありません。そのことを使徒パウロは、コリントの信徒への手紙の中でこのように書きました。

「兄弟たち、あなたがたが召されたときのことを、思い起こしてみなさい。人間的に見て知恵のある者が多かったわけではなく、能力のある者や、家柄のよい者が多かったわけではありません。ところが、神は知恵ある者に恥をかかせるために、世の無学な者を選び、力ある者に恥をかかせるために、世の無力な者を選ばれました。…それは、だれ一人、神の前で誇ることがないようにするためです。神によってあなたがたはキリスト・イエスに結ばれ、このキリストは、わたしたちにとって神の知恵となり、義と聖と贖いとなられたのです。」

これまでは、人間が神様の言葉に聞き従うことが神様の救いの条件でした。しかしこれからは、「神様の言葉に聞き従う」という人間の側の努力によってではなく、とても神様に聞き従えるとは言えない、その人間の弱さ、無力さにおいて、神様が人間と契約を結んでくださったのだ、そうパウロは言っているのです。

そしてその、人間の弱さにおいて結び合う神様と人間の関係を象徴しているのが、十字架のイエス・キリストです。十字架のイエスという弱い存在を通して、神様は人間と関係を持ってくださるのです。だからパウロは、誇るならば自分を誇るのではなくて、この十字架の主、弱さの極みに立たれた方を誇れ、ということを言ったわけです。

このように見て来ると、聖書で言われる「生まれ変わり」が人間の側の変化だけではないことが分かって来ます。

変化はまず神様の側に起きました。つまり、十字架のイエス・キリストにおいて、神様の側が人間の低みにまで降りて来て、わたしたち人間に寄り添ってくださった、ということです。

そして、そういう神様の側の変化を受けて、わたしたちもまた、「今のままの自分ではだめだ」ではなくて、「今のままの自分が神様とつながり、今のままの自分が神様に受け入れられているんだな」と思えるように変わって行くのです。

そうやって、神様の側の変化によって、わたしたちのほうも知らず知らずのうちに変わって行く、これが聖書の語る「生まれ変わり」なのです。与えられたこの恵みを感謝して受け取りましょう。
(2019.2.3 甲子園教会礼拝説教より)