2022年1月 神様のことを知りたいあなたへ(8)「イエスの十字架、その意味④」

 十字架で死んだイエスを見捨てた弟子たち、そんな彼らを再び力づけたのは、イエスの復活の出来事でした。

 復活のイエスとの出会いによる罪の赦しと復活の命のリアリティが、弟子たちにもう一度立ち上がる力を与えたのです。

 そのような復活経験をする中で、彼らの心にもう一度浮かんだのが、旧約聖書の言葉でした。彼らはそれらの言葉を、イエス・キリストの死と復活を預言する言葉としてもう一度読み直したのです。

 そのような中で、彼らがもっとも大切な言葉として受け取ったもののひとつが、イザヤ書に記された次のような言葉でした。

「わたしたちの聞いたことを、誰が信じえようか。

 主は御腕の力を誰に示されたことがあろうか。

 乾いた地に埋もれた根から生え出た若枝のように この人は主の前に育った。

 見るべき面影はなく 輝かしい風格も、好ましい容姿もない。

 彼は軽蔑され、人々に見捨てられ 多くの痛みを負い、病を知っている。

 彼はわたしたちに顔を隠し わたしたちは彼を軽蔑し、無視していた。

 彼が担ったのはわたしたちの病 彼が負ったのはわたしたちの痛みであったのに

 わたしたちは思っていた 神の手にかかり、打たれたから 彼は苦しんでいるのだ、と。

 彼が刺し貫かれたのは わたしたちの背きのためであり

 彼が打ち砕かれたのは わたしたちの咎のためであった。

 彼の受けた懲らしめによって わたしたちに平和が与えられ

 彼の受けた傷によって、わたしたちはいやされた。
 
 わたしたちは羊の群れ 道を誤り、それぞれの方角に向かって行った。
  
 そのわたしたちの罪をすべて 主は彼に負わせられた。
  
 苦役を課せられて、かがみ込み 彼は口を開かなかった。 
  
 屠り場に引かれる小羊のように 毛を切る者の前に物を言わない羊のように
  
 彼は口を開かなかった。 捕らえられ、裁きを受けて、彼は命を取られた。
  
 彼の時代の誰が思い巡らしたであろうか わたしの民の背きのゆえに、彼が神の手にかかり
  
 命ある者の地から断たれたことを。
  
 彼は不法を働かず その口に偽りもなかったのに
  
 その墓は神に逆らう者と共にされ 富める者と共に葬られた。
  
 病に苦しむこの人を打ち砕こうと主は望まれ 彼は自らを償いの献げ物とした。
  
 彼は、子孫が末永く続くのを見る。
  
 主の望まれることは 彼の手によって成し遂げられる。
  
 彼は自らの苦しみの実りを見 それを知って満足する。
  
 わたしの僕は、多くの人が正しい者とされるために 彼らの罪を自ら負った。
  
 それゆえ、わたしは多くの人を彼の取り分とし 彼は戦利品としておびただしい人を受ける。
  
 彼が自らをなげうち、死んで 罪人のひとりに数えられたからだ。
  
 多くの人の過ちを担い 背いた者のために執り成しをしたのは
  
 この人であった。」        (イザヤ書53章より)

 弟子たちは、何度となくこの言葉を読み返したことだろうと思います。

 なぜならば、はるか昔に語られたこの預言の言葉ほど、イエスの十字架の死の意味を、深く彼らに示すものはなかったからです。

(甲子園教会牧師・むこがわ幼稚園園長 佐藤成美)